《 鎮魂の遭難碑 》
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日本人は昔から地域に土着した他界観(あの世)があって、死したら山中の浄土や海の彼方の西方浄土に往くと信じられていた。いわゆる阿弥陀信仰や役の行者が開いた山岳修験道の考え方である。死出の旅路の白装束をまとい山野を跋渉する富士山信仰、白山信仰、立山信仰がそれである。現代においては中世の阿弥陀信仰や講中の先達がお山に参る風習も少なくなっているが、登山は大自然に対する人間のはかなき挑戦であり、時に自然の容赦ない威力において、心なくも山中の露と消えることもある。
愛しい子供を失った親御さんの思いはいかばかりであろう。人知れず建っている遭難碑を見る度に人の無情を感じる。その親御さんも高齢化すれば、山中の現場に参ることも無理になる。
「飯豊・朝日連峰」に眠る亡き人の終焉の地に残された遭難碑は、いつか遺族からも忘れられる日も来るだろう。鎮魂の気持ちで撮った写真を、山の安全と遭難者の冥福を祈り、ここに「鎮魂の遭難碑」として掲載いたします。
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飯豊連峰 東俣林道 千鶴記念碑
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○○○○(21才)
この 山なみの 緑の中に 眠る。
昭和40年8月4日
大阪市立大学ワンダーフォーゲル部
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三面・横松の碑文
人はよし思いやむとも玉蘰 影に見えつつ忘らえぬかも
落雷で遭難された、夫の死を偲んで和歌の一首が刻まれている。
【通釈】 たとえ他の人はお慕いしないようになっても、
いつも面影に見えて、私には忘れられないよ。
天皇の崩御せる時、大后の御作りたまふ歌一首
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碑文 (杁差小屋に残されていた遺文)
今日はなんという大当たりの山か
台風が過ぎ去ったはずなのにものすごい強風 雨 雨 雨
登山の途中わかりきっているはずなのについ頂上まで来てしまった。
今日で三回目 晴れた杁差 霧の杁差
今日の杁差 百面相を見るようだ。
しかし私にとって魅力の山 飯豊連峰は苦労が多いなア―
二十時三十分山頂発 十七時大石着予定
しかしこの後、彼は東俣川に架かる第二ゴンドラから転落し
濁流に飲み込まれ、遺体は大石川で発見された。
彼の靴下の端がゴンドラに引っ掛かっていたという。
昭和42年羽越水害の時であった。
(注) ゴンドラとは沢の両端に張ったワイヤーに取付けた、お猿の籠や
式の籠をいう。籠に乗った人が自力でロープを引っ張って対岸に渡る。
今は永久橋となっている。
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碑文
昭和四十一年 十月十八日
当地にて逝きし 畏友 ○○○○君を悼む
一周忌に際し 友人一同
ザック負い 君なほ山路 辿らむか 地上は月の
さやけき夜なり
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碑文
声もなく雪の飯豊凍てし友
盃託すわたる風にも
五十八年二月十九日 山酔
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飯豊連峰 梅花皮・地竹原.
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飯豊連峰 湯の平(1)
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碑文
○○○○○君よ 安らかに 光顔魏々として 夏始の月が 嶺に受く
昭和五五年十月三十日 石転び沢にて眠る
光顔魏々(こうげんぎぎ)とは、親鸞聖人の教行信証にある言葉。
光顔とは諸仏のお顔は気高い無量光に輝き
魏々とは山のようにゆるぎないこと
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この墓標は雨で流されたのか今はない。
彼は飯豊の風となって天空に舞っているかもしれない。
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ある青年の遭難死
私は新聞記事を見て驚いた。
平成9年6月21日付けで「朝日連峰で早大生遭難死する。」という記事であった。
一週間程前の6月16日に朝日連峰で会った青年だと思った。
新聞は「イワナ釣りの人が朝日川で水死している遭難者を発見した。」と報じていた。
私は朝日連峰大鳥池付近のブナ林を撮影するため、大鳥小屋に2泊していた。
この年は豪雪で東大鳥川を辿る登山道は危険を極めていた。登山道は残雪で埋め尽くされスリップすれば東大鳥川に転落するのが必定の状態であった。七ツ滝沢の吊橋はバラバラに落下し、白濁した雪代水は波をうねって吊橋を洗っていた。転落したら笹舟と同じで一溜まりもなく流される。おそるおそる落下した吊橋を蟹の横ばいで渡った。
遭難死した青年と出会ったのは、三角峰(ミマスホウ)であった。
私は大鳥小屋から以東岳の中間にある、通称オツボのお花畑まで登り、まだ咲き始めたばかりのヒナウスユキソウを見つけた。他の高山植物はまだ咲いておらず、このヒナウスユキソウだけが初々しく咲いていた。
彼は大鳥池を見下ろす三角峰で休憩をしていた。
私は登山者がいるのに驚いた。昨日は雨で宿泊者は私一人。従って午前中に登ってくる登山者は皆無と思っていた。
今日はどこから出立しましたか。と尋ねると、昨日は大鳥小屋まで到達できず、山中で野宿したとのこと。雨の野宿は身をブナの大木に寄せ合うだけの一夜であったろうが、彼はそんな愚痴を一言もいわずはきはきと答えた。
小柄な身体に髪を少し茶髪にした、まだ少年らしい面影が残っていた。計画では今日は以東小屋に泊り、朝日連峰を縦走するとのこと。私はこの時期(残雪期)に単独で縦走する人は少ない。稜線上には夏道も出ていると思うが、今年は近年にない豪雪であるから、ルートを確認して行くようにと助言した。思えば一抹の不安を感じていたかも知れない。
私は遭難の新聞記事を見て、直ぐに早稲田大学に電話した。彼が出会った数少ない登山者だったとすれば、その時の状況を伝えたいとの思いからであった。私が「頭を少し茶髪にした高校生ぐらいに見えたが・・・」というと、間違いないその人であるという。
彼の登山計画では大鳥口から登り、朝日主稜を縦走し大朝日岳から御影森山を経由して尾根伝いに朝日鉱泉に下る計画であった。その計画が大朝日岳で変更し、中ツル尾根を下り、二俣付近で朝日川に滑落したのである。
早稲田大学一次捜索隊の報告では二俣付近に雨具が脱ぎ捨ててあり、多分この付近から滑落したとの推測であった。遺留品のザックから彼の手帳が発見された。内容は大朝日小屋を出発する時刻、大雨になりしばらく停滞したと記してあった。
このあと何故か計画を変更し、御影森山を経由する尾根ルートから、直降下する中ツル尾根を下る判断をした。単独登山者の陥る過ちとして、最短距離で朝日鉱泉に下る沢道を選んだのであろう。残雪期に下山道を沢に選ぶことは命取りである。下れば下るほど悪場が次々と現れ、滑落を誘う悪魔が待ち構えている。十九歳の青年は一瞬のスリップであっという間もなく、人知れず朝日川の露と消えたのであった。
後に大鳥小屋の管理人さんから聞いた話によると。彼は東京から鶴岡駅に夜行で着き、駅舎で仮眠した。そして、朝一番のバスで大鳥集落に着いたが、まだ登山時期でもないので、大鳥集落から徒歩で大鳥小屋をめざした。滑落の危険につきまとわれながら、幻の大鳥池をめざしてブナ林の中ただ真っ白な山野を彷徨し、行き暮れて落橋した七つ滝沢の吊橋を超えた地点で雨中ビバークを余儀なくされた。次の日、ようやく大鳥池に到達し、清々しい姿で管理人さんに挨拶したのであった。
新聞記事(読売新聞) 平成8年 6月21日(金)
登山の早大生死亡
20日午後3時ごろ、山形県朝日町の朝日連峰・朝日川上流で、早稲田大二年で同大山岳部員の新谷希土さん(19)(東京都保谷市)が死んでいるのを釣り人が発見、同県警に通報した。遺体は21日朝、収容する。調べによると、新谷さんは15日に同県朝日村大鳥から単独で大朝日岳に入山、平岩山、御影森山を縦走して17日に朝日町に下山する予定だったが、予定を三日過ぎても戻らないため、20日朝、同大山岳部から捜索願いが出されたばかりだった。新谷さん、兵庫県西宮市出身で、同連峰は始めてだった。
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早春の大鳥池
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↑遭難死した彼と会った30分程前に
このヒナウスユキソウを彼もきっと見
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撮ったヒナウスユキソウ。
たに違いない。(オツボのお花畑にて)
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